1年を終えて、1年の始まりに立ち。


明けましておめでとうございます。

とても静かな年越しをしました。

というのも、12月後半は2週間のお休みを頂いて(※海外では2週間連続のお休みを取ることがコンプライアンス上必要になる会社もあり、私の会社もその慣例にのっとっています。その間、メールチェックなども一切無し、というはずではありますが・・・笑)ケニアで私が手伝っている起業家達とのミーティングのため、ナイロビのプロジェクトサイトへ足を伸ばしていました。

その折、夫も「一緒に行く!」ということで、二人で楽しくいったものの、どうやらナイロビのどこかで食べたもの(多分スラムの家庭の食事でしょうねえ・・・)がお腹に当たった様子。しかも、自分で正露丸か何かを飲んでいたようで、細菌性腸炎が長引く羽目になりました。

(下痢が始まると細菌性の場合は下痢止めは飲まずにとにかく苦しんで出してしまう方がいいのですが、彼はあまり途上国に行ったことがなかったので、下痢止めを自分で飲んでいたみたいです・・・)

二人でケニア旅行の後、一度イギリスに戻り、その後日本に帰ってきているのですが、私がついに彼のその状態に気づき、それは駄目だよ!と言って、私の愛用品である『ヤクルトBL整腸薬』を飲ませた途端、止めていたものが出始めて、一気に体調悪化。高熱と下痢が続きました。

それで年末31日には聖路加病院にて一日中検査をし、年越しそばもおせちも食べられずに、おかゆおかゆの毎日を夫は過ごしています。

私はもちろん食べていますけれど・・・笑

(聖路加の感染症のお医者さんはとても良いお医者さんです。また、聖路加には渡航内科のような所があり、途上国行く人はばしばし予防注射を打ってくれるのでかなりお勧めです。)

私は以前途上国から帰国した途端、食中毒を一度やり、その後、腸チフスなど口から入る菌に関係するものの予防接種は終えていたので、同じものを食べても大丈夫でした。一度食中毒をやると、だいぶタフになります。私はその時は抗生物質を呑むこともなく、自力で治したので、それも良かったのかもしれません。彼は今回きちんと予防していなかったので、仕方ない。。。。何度も言いましたけれど・・・。笑 仕方ないですね

と、年始早々下痢の話などですみません。これもひとつのご愛嬌・・・。というわけで、とても教訓的な年末年始を迎えることが出来ました。

夫が昏々と眠る横で、読書や雑誌を読みながら、音楽を聴いたり日本のテレビを見たりする、静かな静かな年明けでした。

2010年の1年は知らぬ間にたくさんのことが起こりました。1月7日にBOPイノベーションラボというオンラインコミュニティを立ち上げてから、あれよあれよと、大勢の人達が自分達で行動を起こすのを目の当たりにし、焦るというか凄いというか、理解を超えていたり、日本独自のコンテクストの中で進む物事に追いつけなかったりして、何がなんだか分からない瞬間を何度も経験しました・・・笑

でも、こういうのが起こるということこそ、本当に楽しいことだなあ、とつくづく思っています。

やはり化学反応がものすごい。

ポテンシャルの高い人達がうごめいている限り、必ずエントロピーは高くなるのですから、化学反応が起こっていく。

それらを実感を持って、体験させていただけました。

本当にこの1年で出会うことが出来た、沢山の方に感謝です。

この1年の間に、出会った方々が、次の1年の間に生み出すもの全てが、ものすごいパワーを持ったものになるだろう、と信じています。

仕事も沢山できました。こういう形でBOPビジネスと呼ばれるようなものが仕事にすることができるとは思っていませんでした。色々先回りして、数年前から先行投資して自分で駆けずり回って、良かったー、(というか、ようやく回収の目処が立ち、ほっとした感じ・・・)というところでしょうか。

悔い無き数年間の面白い経験を得ることが出来たと思います。

今年は、2010年に突風のように過ぎていってしまったがゆえに、きちんと対応できなかったことを、順々に着手し、頭を整理し、深堀し、次へ進んでいこうと思います。

特にすばらしい人達と出会うことが多かったのに、中々それを何かの形に出来ないまま終わってしまうことも多かった。

実行の段階に至るまでにはアイデアだけが浮遊しているものや、確信が持てないものが多かったのも事実。

それを着実に地に足の着いた事実にしていきたいと思います。

そして、2010年の最高に良かったこと・・・。

ケニアに4月に足を運んでから、スラムにいるピーターという青年と交流を続けていました。

彼に「ビジネスによるエンパワメント」の話をして4月は別れたのですが、じっくりと彼自身納得できるまで考えたのでしょう。

10月から鶏のビジネスをはじめたのだそうです。

夫と一緒に彼の収支を計算してみると、利益率は30%を超えています。彼とその話をしながら、今後の展望を話し合い、彼がきちんと高校に戻ることができる、学費を払いながらビジネスオーナーになれる、そういう計画を3人で立てることができました。

これが、一番うれしかったことです。

私はお金持ちでもないので、お金もあげられないのですが、人を元気づけたり、ヒントの種を風のように運んで歩くことは出来ると思う。

彼が日本やイギリスから来たこのヒントを、自分の中で熟成させ、誰に言われるでもなくはじめたこと。

これが一番うれしかったのです。

私は、「ああ、この1年の活動の方向性は間違っていなかったんだ」としみじみ思いました。安堵に近いのかもしれません。

さて、今年の抱負を書いてみます。こういうのは野暮ったくなるので書かないのが主義ですが、今年は非常にシンプルな課題を持っています。

「時間に価値を与える」

実は、昨年の移動した国の数は仕事だけでも7カ国。旅行なども入れて述べ回数では12カ国に移動しています。

イギリスの自宅に滞在していた日数は190日。

ほぼ年の半分をどこかの国で過ごしました。

私の生活を支えているのはSkypeや携帯による電話会議、車に乗りながら時差を超えて電話会議をすることもしょっちゅう。

また、朝4時・5時から、夜中12時から、などの電話会議もよくあります。

夫はこの私を「遠洋漁業」と呼ぶ・・・

(彼も出張が多く、近場のヨーロッパをうろうろするので、地引網とか近海漁業程度でしょうか)

「時間に価値を与える」というのは、こうした生活とどう向き合っていくかです。

自宅では有機栽培の実験(途上国農村部での農業の勉強のため)もはじめたものの、それらもこの遠洋漁業状態で枯れ果ててしまいました。

またイギリスに住んでいるにも関わらず、イギリスで起こっていることや時流を把握できず、私はいつもインドと中国とアフリカの話題しか知らない・・・。

最近、リクルートの就職関連の某サイトから取材を受け記事を書いていたのですが、そこで出来上がった原稿をあらためて見ると、イギリスにいる人の話なのに、インドの話ばかり出てくるので、夫が大笑いをしていました。

これでいいのか、と悩むことひとしきり。

しかし、私の生活を真横に見ながら、家族である夫も価値観がだいぶ変わってきました。昔は、どちらかというと、本当に一般的な20代から30代の日本人男性の考え方に近い人でしたが、いやおう無しに「ノマドな奥さん」との生活を突きつけられ、少し可哀想かな、と思いつつも、彼は彼でそれを、新しい価値観を構築していくための、ひとつのきっかけとして捉え始めてくれている様子。これぐらいうれしいことはありません。

彼の会社の人達もうちの家庭に対して「変わった奥さん」のイメージがある、というのを最近夫の口から聞き、笑ってしまいました。

大概の駐在員の奥さんは働き口を見つけることができない、かつ、皆さんは泣く泣く仕事をやめて主婦をされている方が多いので、私のように働くことが出来ているのは幸せだと痛感します。(半分も一緒に居ないくらい働いているのですが・・・)

日本でキャリアウーマンだった方も、イギリスでの再就職は難しいようで、それもあって皆さん家庭での仕事がパーフェクトな様子。家事に育児に、おもてなしに、と誘われて行く度に、うちとの雲泥の差に苦笑せざるを得ない・・・。うちの夫はその点、洗濯や自炊は自分でやるようになっているので、周りには「大変だね」といわれている様子です。私からすれば、私も同じくらい働いているのですから、もっと家事をしてと喧嘩をすることもしばしば。そこで、お互いの喧嘩を少なくするための投資として、iRobot社のルンバ(Roomba)を購入して以来、うちではこのルンバ君が大活躍しています。

日本で昨年2010年11月にBOPビジネスのセミナーをやった際に、「この分野には女性が多いし、女性が元気ですが、どうしてですか」と聞かれました。女性は元気なのですが、夫との生活を両立させる、となった途端、この分野の仕事は難しい。皆さん、独身の方が多いと思います。

それはひとえに、夫の理解、夫の変化、年齢、周囲の目、家の中やそれぞれのカップル毎の文化やルール、社会契約・・・・、こうしたことに絡み取られていく問題だからです。独身であれば、長期間どこにいようが何とも言われないし、後ろ髪を引かれる思いもしませんが、もし自分自身が家庭を持っていて、家庭を大切にしたいという気持ちが強い場合、気持ちは複雑です。

これからグローバルに働き、あちこちを動き回る人が増えていくであろうことを考えると、新しい仕事のあり方、新しい夫婦のあり方を考え、そこから新しい会社のあり方も考えていかなくてはならない、と強く思います。

旅のような毎日が続く生活は、毎日が新しく驚きに満ちていて、アドレナリンが出るものですから、そこまで苦ではないものの、色々なひずみが出てきているのも事実。身体的にも、精神的にも、今まで見たことのない状態に何度もなり、自分の状態を常にチェックするようになりました。

チャンスを楽しむべく、時間を効率的に使い、健康を維持するための時間をきちんと太陽の出ている時間帯に取れるようにする。人間らしく、音楽や園芸や文学を楽しむ時間を盛り込み、時間ひとつひとつが持つ価値や豊かさを増やしていく。

こういう配慮が必要になってきた歳、と感じています。

「時間を節約する」という表現は殺伐して苦手なので、もっと正しい言葉があろうと思い、「時間に価値を与える」として考えて行こうと思います。これから一つ一つ、また問題にぶつかりながら、試行錯誤して、答えを出して行きたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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1年を終えて、1年の始まりに立ち。」への5件のフィードバック

  1. 詩野さん、昨年は大変お世話になり、有難うございました。熱いハートのある女性とお会いできて大変嬉しかったです。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。また、お目にかかれるのを楽しみにしております。ご家族のご健勝、ご多幸、益々のご活躍を陰ながらお祈り申し上げます。

  2. 初めまして。新年早々、通りすがりにコメントさせて頂きたいと思います。一般人からの拙い感想になると思いますが、お許し下さい。まず、貧困=悪であるというスキーマ(図式)が、そうした支援ビジネスなり、開発援助等に従事している方々が持っておられる前提としてあるような気がするのですが、本当に、そうなのでしょうか。勿論、餓死や若くして衛生環境の不備等の理由で病死するようなレベルの貧困であったり、犯罪やその犠牲者になり得る程に追い込まれた状況にあるような貧困は、望ましいとは思えないのですが、それでも、良好な民族的コミュニティーがあるのであれば、貧しくとも、みんなで笑顔でいられような豊かさであったり、そうした生き方も可能だと思います。たとえば、食事を作るのに、水を遠くまで探さなければならなかったり、その材料の調達や準備、作業だけで、一日の大半を使ってしまうような世界もまだ残っていると思いますが、私は、そういう世界が不幸だとは思わないのです。大家族や民族や仲間で、毎日協力しながら必死で支え合って生きている世界って、アトム化した先進国の人達から観れば、精神的には、ある意味贅沢なのではないでしょうか。教育に関しても同様で、私達は様々な知的リソースや文化的な遺産、最新の技術にアクセス出来たり、それを効果的に活用して、そこから何かを生み出せる人間こそが、有意な価値を持っていたり、幸福なのだと思いがちですが、それにも疑問を感じることがあります。たとえば、先進国の現代人は、一人の人間に必要なレベルを遙かに超えたような情報なり、表象文化、娯楽であったり、気を紛らわせるような色々なツール、SNSやチャットに取り囲まれて生きている訳ですが、そのこと自体が、特に幸せなようには見えないし、逆に、過剰なそれらがかえって人間を実存的に疎外している、もしくは孤立化させている点があるように思うのです。

  3. もしくは先進国における、高度情報化社会やマーケットの広告が日々作り出すフェイクなる良き未来像や理想像の過剰な刷り込みが、人々に必要以上の競争心や嫉妬、強迫観念や行為へと煽り、あるいは、不要なディプレッションを生み出してしまうというような背理もあるような気がするのです。もっと簡単に言えば、私達は知っていることが、あるいは何でも自分で出来ることが良いことだとつい思ってしまうのだけど、知らぬが仏みたいな言葉もある通り、余計なこと、しかも表層レベルのみで、あまりに多くを知り過ぎる現代人が有する落ち着きの無さというのは、どこか神経症的というか、不毛な感じがあるのも否めないのですが、どうでしょうか。あと、企業イメージをアップするために、最近では昔のようにステータス志向を煽るのではなくって、そうした後進国への開発援助に参加してます、地球に優しいです、etc.と、だから、ウチの商品買って!みたいになっている感じなのですが、まあ、それはいいと思います。土屋様がご指摘されていたように、かつては日本企業が、陰徳で慈善行為を結構していたみたいな話は、私も聞いたことがあります。お正月早々、何で私は人様のブログに、こんなに長々とコメントしてしまうのかは、よく分かりませんが、多分、土屋様の書いたモノにつられてこんな風になっているのだと思います。(苦笑御名前、本名なのですか?もし、そうなのであれば、いい意味で、すごく風変わりに感じられるので、すぐ覚えられそうです。体内時計の狂いに気をつけて、これからもマイペースで頑張って下さい。そのお仕事やご意見が面白そうなので、案外、ロムっているかも知れません。では、良い新年をお迎え下さい。文字バケの多い酷い長文、失礼しました。

  4. あ、お名前間違えました。すいません。土屋ではなくて、槌屋詩野さま、でした。度々、すいませんでした。

  5. mayさまコメントを頂いたにも関わらず、お返事がすっかり遅くなりまして、大変失礼いたしました。私もmay様が感じていらっしゃるのと同じような点を疑問に思うことがあります。?貧困=悪というスキーマ、?知的リソースや文化的な遺産、最新の技術にアクセス出来たり、それを効果的に活用して、そこから何かを生み出せる人間こそが、有意な価値を持っていたり、幸福なのだと思いがち、という点です。これに関してはまたじっくり記事として書きたいとは思いますが、同じ疑問を持っていた時代がありますが、それを自分の中で整理するクライテリアをひとつ作るに至りました。私はいつも、どの現場に行っても、個人と個人で接点を持ちながら、「この人がもっとも生き生き仕事をし、家族に対して誇りを持ち、自分に自信を持つために、社会はどうあるべきだろう」という点を念頭に、考えるようにしています。そうすることで、マクロ化したり、数値化したりして考えると、消えてしまうような価値を、復権させて、中心にすえて考えることができるような気がするのです。知らぬが仏の世界も多々あります。その代表例が出稼ぎで、都会に出稼ぎに行かずに済むなら、行かないで、自分の親のいるこの地域で、誇りの持てる仕事が出来ることの方が、よっぽど幸せな生活を送れるのだと思っています。そのため、農村部でよく仕事をするのは、都会に出稼ぎに行かなくて済む若者たちを増やすためです。都会に出稼ぎに出れば、農作物での自給や物々交換がなくなるので、貨幣経済に頼らざるを得なくなります。そうすると、今まで豊かだった生活が全て金銭価値に置き換えられてしまって、一気に貧しくなると共に、仕送りや高い生活費に苦しめられ、ほんの一握りの人しか成功しない階段を死に物狂いで皆と一緒に駆け上がっていくしかなくなるのです。それよりも、自分の土地にいながらにして、他の誰にも出せない価値を自分が提供できるんだ、という誇りを持って、心の余裕を持ったまま生きていく方がいいということは、私達よりも彼らに質問するとその回答からいつも感じられます。都会に行きたくて行ってる人は本当に少ないです。農村部での職業の創出はそういった意味で重要ですし、その職業がサステイナブルで、付加価値が高いものになるためにはどうすればいいか、いつも考えています。まだまだブレインストーミングレベルなのですが、もし宜しければ、引き続き議論させていただければ大変幸甚です。ちなみに、名前は本名です(旧姓を利用しています。)

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