情報、信条、選択、対話、そして希望という試練


今回の地震に関して感じていることを記載するのには勇気がいる。それはまだ何も結論が出ていなくて、真っ只中に全員がいるからだ。そして、だいぶ落ち着いてきた(事故処理的にというよりも、精神的に)から、筆をようやく取れるということであり、筆をとっても、何の役にも立たないのが悔しい。

地震が起きた時、日本のチームや日本にいる日本の顧客とメールを取り交わしていた。

「地震が来たみたいですよ」とか

「天井が20センチ開きました」とか

「震度3くらいです」とか

色々な情報が飛び込んできた。(今思うと呑気な情報だった。)

どれも断片的で、どれも主観的である。そう、『情報』とはそういうものなのだ。その性質を忘れてはイケナイ。情報信奉者にならないように気をつけないと…、そう心で何度もつぶやいても、不安は消えない。

家族に電話する。繋がらない。

なのでインドやアフリカの友人たちから舞い込んでくるSMSや電話に対応しながら、「ケアしてくれてありがとう!でも、状況がぜんぜん分からないの!(私だって心配なのよ!)」と叫んでいる。

急いでニュースを見る。余震のニュースがひっきりなしに出てきて、被害者数が少しずつ明らかになる。胸が詰まる。過去の全ての世界中の災害のニュースが頭を駆け巡る。

全てのニュースが当然なのだが、ネガティブな空気を帯びていて、精神的なダメージが大きいのに気づく。数時間見続けただけで、どっと疲れが出た。被害というのは伝播する。精神的に。どこかで遊びや心の余裕を作って、悲しむ心を寝かせないと、心が死んでしまう。

そして、民放のニュースを閉じた。不安な顔をしているアナウンサーたちを見ているとこちらも不安になる。そういう姿を見ないようにして、一部の私が必要なニュースだけを必要な時に流してくれるものだけを見たい、と思った。NHKを時々つけて、冷静沈着な放送を時折見るだけにした。(だが、その情報もNHKの情報である、というこを十分に理解した上で。)

これがリアリティなのだな、ととても強く思った。

私は遠くにいるのに、親戚や心から会いたい友人達が日本にいるというだけで、体の分身が日本にあって、同時に傷つくのが分かる。

そして、原発のニュースが次から次へと舞い込んでくる。

ここから『情報』というものがいかに主観的であるかがじわじわとリアリティを持って感じられた。同僚の中に放射能に詳しい人がいるし、父も原発に詳しいので、色々な情報が入ってくる。

が、ここに原発というものが全て「信条」と直結することを強く感じた。以前、実は原発の問題で、会社の同僚と、原発をCSR上どう判定していくかで揉めたことがあり、その時と似た会話が繰り広げられていた。科学技術というのは、誰かが真実だといくら言っても、それを信じるか信じないかは別の問題なのだ。

自分が信じることに素直に従った行動をすれば、とりあえずは後悔しない。それが最低限のラインである。逃げるも逃げないも個人の信条に関わるので、お互い干渉しないで情報を受け渡していく静かな動きが、東京にいる人達から感じられた。「あ、大阪行くんだね。私/僕は残ります。」という会話が普通になされる形。

情報、信条、選択。

これを決定付けているのは、自分達が所属するコミュニティや友人や似たような人達、信頼している人達の判断であったりする。その場合、コミュニティから断絶されている人はどうしたのだろうか。

2日ほど前からオックスフォード大学のビジネススクールの中で、政治経済学的な視点で色々なものに対して、シナリオプランニングをする機会を得ていて、今もその議論が沸騰中だ。

エジプトの民主主義と革命を誰も予想しなかった。日本の原発危機も誰も予想しなかった。エジプト人と日本人の私で、その話を延々としている。

個人的に、今回の地震と照らし合わせて考えながら、議論の中で至った結論が一つある。人間の基本的な性質の「対話」の重要性だ。

人々は、社会変動があっても、すぐにHuman Adaptability(人間的な適応性、とでもいおうか?)を得るだろう。

例えば、今回の地震でも電気供給が無い、となっても多くの人が節電を実行し、少ない電力の中で、あの摩天楼都市の東京がサバイブする奇跡を見せた。

イラン人の監督の映画で、「そして人生は続く」という映画があるが、そう、人生は続くのであって、人々は適応していき、次の設定条件の中で生きていかねばならない。

少ない電力なら少ない電力で、食料が少ないならその条件で、生きていかねばならない。リソースの配分を自分達の頭で考え、適材・適所を判断していかねばならない。

でもその時に、自己利益だけを考える人がいては、摩天楼都市の東京がサバイブしたようなことが起こらない。

人々が「Community Sense」(コミュニティ感とでもいうか)を持って協力しあい、話し合い、語りかけ合い、励ましあい、同じ目的を共有しあって始めて、リソースの配分が適切に行われたのだ。

今は日本は皆誇りを持って「日本はやはりすばらしい対応した国だ」と(まだ)言える状態にあるし、それをしなければならない状態にある。

でも、残念ながらすぐに人々は忘れてしまう。自分達ができたことを。語り合い、協力しあい、リソースの再分配を適切に行うようにするために、沢山のコミュニケーションや対話をしたことを。

例えば、自衛隊や国と、宮城のボランティアセンターと地元の団体と世界中から資金を集められる国際的なボランティア団体が、一生懸命対話していること。

そこに国、市民社会、企業の枠を超えて、グーグルやユニクロやIKEAや地元企業などがその対話のサークルの中に入り、コミットし、一緒にステークホルダーの境界線を越えた対話をしながら、どんどん物事を作り出していること。

そして、その物事そのものが、多くの命を救う事実を作り出したり、一つのツールとなって多くの人がそれを使って安心したり喜んだりしていること。

そしてそれが、数日という非常に短い時間の中で行われていること。

今、多くの人が経験し、凄いと思っていることのほとんどが、日常で起きてこなかったこと、ありえないと思われてきたことなのだ。でも、震災がないと起きないことなのだろうか。

LeapFrog(跳躍)とはこうして危機が起きると起きやすい、とは聞いていたが、ここまでシリアスな危機で起きるとは(または、そうじゃないと起きないのか、という疑問も含めて)、この事実は想像以上だった。

震災や危機は大きなネガティブな精神的なトラウマを与え、聞きたくない情報も耳に入ってきて、できれば忘れたくなってしまう。忘れる力も必要で、それがないと乗り越えられない。忘れなければ次に行けない。

でも起きたことのうち、すばらしいこともあった。そこから、ようやく対話の仕方を学んだ、ということもあったと思う。これも一緒に忘れては行けないと思う。

(※私は東京にいなかったけれど、

  村上龍氏の「危機的状況の中の希望」に強く共感する 

  http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/

この教訓が今後どう生かされるか。

これも今後のシナリオプランニングの中に入れていかねばならないし、私達の日本の社会の中に埋め込まれた烙印(スティグマ)になるだろう。だが、それを建設的に受け止めながら次に進んで行くために、忘れずに活用する。これは試練だと思う。復興という試練であり、希望という試練だと思う。

この試練に正面から向き合って生きたい。

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