BOP→HUBになったわけ


今でもこのブログには、BOP関連のものでアクセスしてくれている人がいるのを最近発見しました。

そうですよね、BOPはバズった後、今や定着して、いろんな人が使うようになった言葉です。ほんと、リサーチを始めて、その世界に飛び込んだ2007年には信じられなかったことですが、今、FACEBOOK等で関係している人たちの投稿をみると、BOP, BOPって言葉がどこでも聞かれるようになって、すごいなあと関心しています。(私の周りだけでしょうか)

最近、何かのご縁で、HUB Tokyoにきてくれる人がいて、お会いすると、「あれ!変わってね!」というか、「なんでこんな転身を!?」と言われます。「途上国じゃないの?東京でいいの?」というような反応。

本人的には全然転身していなくて、とっても素直な形で現在の状態に至ったので、「あー、すごい変わったように見えるんだー」と素直に驚きます。

そもそも、BOPビジネスに着手していたのは「途上国好き」とか「バックパッカーだった」とか言う理由からではなく、そこにとてつもない、わくわくする、信じられないイノベーションがあるからでした。Make the Impossible Possible, とか、Think the Unthinkableという言葉がすきなのですが、まさにそれです。

イノベーションという追求の意味では、全く、何も自分的には変わっていないのです。

確かに、1年前の私は途上国のチェンジメイカーたちと、日本の企業や投資をつなげる仕事をしていました。会社勤めのコンサルタントで、一応、日本の大企業の方々がお客さん、という形でしたが、最終的には現地のチェンジメイカー達の仕事がうまくいかないと意味がないので、そちらへのデューデリジェンス含む、ハンズオン的なところをやっていて、気がついたらどっぷりそちらの中で、そちらの組織の人みたいに働いていたわけです。

途上国のチェンジメイカーの起業家たちとそのチームたちの成長を5年ほど、見続けることができたこと、そして、その加速を手伝うことができたこと、それが私が得た素敵な経験でした。チームの失敗、成功、ラッキーなど、色々目にしました。彼らが迅速に自分たちの姿を変え、方針を変えていく柔軟な様も経験しました。

それで、今は、自分で会社を作りまして、日本、海外、途上国関係なく、チェンジメイカーとなる人たちの仕事をレバレッジする、というのを目的に、「HUB Tokyo」という場/コミュニティを作り、起業家として生きていこうとする人たちの生態系作りの仕事を始めています。(HUBというもの自体が日本では知られていませんが、世界のチェンジメイカーの生態系づくりに、実は一役買っている、グローバルなネットワークの一つなのです。)

ずっと私の中で溜まってきたフラストレーションは、システマティックチェンジ(構造的な革新)を起こすに至らない起業家が、日本にあまりに多いことで、多分、これは視野をかえたりすればできることなのだと思うのです。

とにかく、イノベーションのものすごいものをみたいが故に、興味本位の一心で、多分、自分で金をつぎ込んでしまいました。

(私の好きな言葉はガンジーの「Be the change you want to see in the world.」。私が一緒に働いていたインドの起業家たちも遊びにきてくれ、色々なアドバイスをくれました。)

ということで、今はリスクも全部背負って、現在の場所に立ってしまったわけですが(笑)、それが正しかったかどうかは別として、おかげで気迫だけは残ったまま(笑)その気迫に押されて、素敵なチームが集まってくれて、ようやくHUB Tokyoも動き出しました。

チームの素敵な笑顔↓ HUBのメンバーも混ざってます!

BOPのコンサルタントでいる限り、絶対に経験できない部分、それは社会的な事業にリスクも全部しょいこんで「やってみる」ということをしないままの、「セーフティ」に身を置いてしまっているわけで、それでいいのかな、といつも思っていたからです。

というか、私にとって全然「セーフ」じゃないな、と気づいたのです。

もちろん、資金サポーターとかボランティアとかよりも、遥かに身を突っ込んだ生活をしていたのですが(1年の半分は農村住まい、とか、肉体的にかなりコミット 笑)コンサルタントというのは最後まで自分がリスクを背負えないという悶々としたものがあります。リスクを背負えない、イコール、自分のAlignmentを発揮できない、という不発弾に陥るわけです。

とはいえ、じゃあ、事業会社に転職してBOP事業をやりたいのか、というと、全然違いました。同じなのです。結局、経営層が割り振ってくれた予算を使って、どこまでBOP事業ができるかを考えるわけですから、四方八方に色々なリミテーションがある中で調整をする、ということが得意な人には向いていると思います。イントラプレナーに必須の能力ですね。

ですが、私にはその能力が全く無い気がしてきた。

そもそも、↓下のような写真の状況が無理な気がしていたからです。

私がいつも仕事をしてきたチェンジメイカー達は、自分の持つ情熱や能力を解き放ち、それらを最大限に使い切らないと、何もイノベーションは起こせない、と教えてくれた。全身全霊、全部使いきらないと、だめなのだと思う。

彼ら、彼女らのスケールはでかい。地域という脈を超えて、社会全体や世界全体を変えたり、制度やパラダイムシフトを起こしていく。その情熱に、私も、身を燃やされてしまった人の一人なわけです。

人生は一度きりしかなく、自分の能力を最大限に解き放つためには、何も無い地平線で、存分に歩き回り、失敗し、痛い目をみて、独自で考え、自分で納得し、次へ向かう、というそのサイクルを繰り返すこと。

8年前のウユニ湖。一人で、湖の真ん中に立ち、広がる地平線を360度眺めたとき、自分のちっぽけさを感じ、自分ができることの限界を知りました。と同時に、何もまだ自分は発揮していないことも知りました。

現在、HUB Tokyoという場で、色々な人たちが自分の人生を見つめ直し、シフトしてきていて、その人たちと話していると、爆発的なシステマティックチェンジを起こすために必要なことが、だんだん私の中でわかってきたように思います。イノベーションプロセスがだいぶ分析され、理解し始めている。

なので、私が起こしたい改革はもうすぐそこに迫っていて、そのために起爆剤を投入するのみ。私がみたい社会は、全ての人がチェンジメイカーとしての素質を発揮できる社会で、それをみるために山を上り始めています。

というわけで、あまり説明になってませんが、BOPからHUBになったわけ、を書いてみました。よろしくおねがいします。

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