時を刻むということ

グリニッジ天文台の時計

時を刻む。これはグリニッジ天文台にある、最初にできた頃の「時計」だ。人間が「時を刻む」という作業を思いついた頃のことが、この天文台の展示には沢山描かれている。

時を刻むことが出来始めた理由として、定期的に振れることができる振り子ができたこと、その振り子に作用/反作用を与えるバネを開発できたこと、という、とても物理的な、技術的な理由で、「時を刻む」作業が始まったのである。

誰ももし「時を刻む」ということを考えつかなかったら、今はどうなっていたのだろう。

ストーンヘンジ

時を刻み始める前の出来事は、非常に曖昧なのが、人間の歴史だ。ストーンヘンジ。変な石の塊。

と思ったら面白いことに、そうではないらしい。祭壇としての役割を担っていた様子であり、そこに参拝に来る人たちの参道があった。そこに今は羊たちがメエメエと歩き回って、緑の芝が生い茂って、歴史をすっかり覆ってしまっている。

このストーンヘンジで行われいた祭りと太陽に関係する儀式などは、この社会が上下関係が少なく、非常に民主的な社会であったことが伺われるという。イギリスの大昔に住んだ人々は、民会にしろ、こういった遺跡の跡にしろ、民主的な社会をベースとした世界観を持っていることが多く、面白い。ローマ人たちが来る以前の人々やケルト民族を研究するのは、政治思想史的に非常に面白いのだが、その姿がこうやって残っているところも面白い。

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で、ローマ人。写真はローマのカラカラ浴場だ。ローマ人も上下関係がなかった部分もあれば、残酷な上下関係も存在した。不思議な人種だ。

風呂場では奴隷も好きなだけ同じお湯に浸かれるというシステムなのに、コロッセウムのようなところでは動物の餌になっている。

人の命というのを無惨に決定できる人間は面白い動物であるが、おそらく動物の餌にしてしまうような人たちには同じ種類の動物という認識が無かったのかもしれない。だから、人を所有することも、可能だったのかもしれない。

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そして、キリスト教世界の時代。これはアドリア海や地中海側から帰って来た船の上から、ベネチアを見たら、こんな姿だったろう、という写真。

ベネチアという都市国家。近くの神聖ローマ帝国ではなく、イスタンブールにあるビザンチン帝国に忠誠を誓うことで、自分の独立を守っていたベネチアという国。

この国ほど「ヒロイズムのいない国は見た事がない」と塩野七生は書いている。為政者が行う政治が、そのまま全て、この小さな島に住む人たちの欲望を体現している。商業をうまくいかせるため、海賊を追い払うため、地中海における覇権を続かせるため。小さな国のコミュニティであれば、為政者は実質的な人々のニーズをうまく引き出し、政治に反映させることが可能なのだろうか。

この海を制覇した、小さな潟(ラグーン)に住む人々の、ものすごいパワーでの「生きたい」意欲を、この島からは感じた。強い、強い島だった。

ベネチアの下町で

ベネチアの面白さは、所有の概念が少ないところにある。この写真の水路の周りに、教会とそれを取り巻くコミュニティ、そしてカンポと呼ばれる広場がある。この空間的な構造自体が、このコミュニティには「共有財産」こそ存在したが、それを私有化する動きはほとんど起きようが無かったことが分かる。

ベネチアの人々は、全てが元々、本土から逃げて来た人々。他の民族に追われて、安全な海の方へと逃げて来た人である、という。

その逃げ方が面白いのは、教会と教区ごと、ごっそり逃げてくる。教会の司祭を中心としたメンタルな構造が成立していて、その下に豪族や商人や地主が、そしてそのお金持ちの人たちの仕事を支える形で、職人や農民がいた。これは日本の中世とも同じ姿をしていて、特に、私が大好きである飛騨高山の豪族たち「旦那衆」とその周辺の職人達の構造に酷似している。

それが社会を構成するユニットだ。なんだか「会社」みたいだけど、そのユニットは共有の場所として「広場(カンポ)」があり、みんなで鶏とか牛とかをそこで飼っていた。生活のユニットと仕事のユニットが一致していた。

仕事がいきいきと人々に無駄無く分け与えられていた時代の出来事である。

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そして、最後に載せたいのは、100年続いている八百屋の写真。ナポリで出会った八百屋である。

時を刻むことを人間が始めてから、人間は色々な栄枯盛衰を経て、自分達の創ったものがすっかり壊され、地下に埋もれたりしたとしても、その上に新しい緑が生い茂る。

でも、続くものもある。

「100年つづく事業を」といつも話している。途上国で、日本で、東北で、いろいろなところで。始めるなら、続く事業を。スケールする事業を。強い事業を。

この100年つづいた八百屋を見ながら、続く事業とはどういうものかな、と考える。八百屋のおやじは本質的なところをただ淡々と、黙々と、やってきただけで、それだけで強い。

歴史の色々な営みを見ながら、最近ついつい考えてしまうのは、「強い事業」とはナンだろうかということだったりする。そして、「強さ」を持つ為には、人はどんな住まい方をし、どんなコミュニティや、どんな資産を持った社会を創って行くのがいいのだろうか、と考えたりしている。

 

というわけで、最近いろいろ旅をしたのですが、それに伴い考えていたことをつらつらと書いてみました。

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長期雇用という社会貢献

アフリカ近辺に少し行っていましたが、来週からはまたすぐ南アジア地域です。最近は、自分だけでなく、同じチームのメンバーにもこの強行スケジュールを課すようになってきて、被害者が続出中。

でも、みな楽しんで、旅をしながら仕事をする、そういうスタイルになってきたな、と思います。(前向きな捉え方・・・)

アフリカで思うのは雇用形態があまりにいびつだということ。馬鹿みたいに給料が高いのです。例えば、マネージャーやコンサルタント業と言ってもレベル感はばらばらですが、この途上国において月々30万~40万円くらいは序の口。きちんとしたマネージャーをローカルで雇おうとすると、50万円/月くらいになります。他の途上国では信じられない価格だったりします。

しかも、難しいのはその「きちんとした」を見つけ出すのがかなりハードルが高いこと。そのため、「きちんとした」だと思って雇ってみても、「きちんとした」に達しておらず、結局トライアル期間で解雇しなくてはならないが、またアフリカで解雇するのは非常に大変。というわけで、結局色々なコストが無駄になります。

南アジア地域は優秀な人材や教育レベルの高い人材が一気に人口が増えてきているので、比較的安く、優秀でよく働く人材を手にすることができます。なので、大体7-8万円/月で、大学卒業の優秀なエントリーレベルの人を雇うことが可能なのです。(これはインドの特定の地域での話なので、違う場所もあるでしょうから、あくまで参考にしてください。)

確かにジョブホッピングも多いのですが、それ以上に長期雇用的な流れも脈々と続いていて、やはりカーストなどがあるためひとつの仕事や技術職に一生ついていく、という人も多いのが現状。そういう意味では、あまり余所見をする人も少ないなあ、という気がしています。(一部のエリート層を除く)

一方でアフリカは、まず大学を出ている時点で相当のエリートなので、その時点で給与ががくんと上がってしまいます。一方で、留学から帰ってきて、地元企業の職につけず(給与が高すぎるため、地元企業が払えない)ふらふらと浮遊コンサルタントになっている人が多いのも印象的。(そういう人にはいろんな国で出会いますが、東西アフリカ地域の若い層は多いですね)

彼らは国際NGOの職や、UNや開発援助機関の職を狙っているか、または、大学でのレクチャーをしていたりする人が多いです。実際の職務経験を現場で積む機会が少ないまま、頭でっかちになってしまう人が多いのが難なのですが、こういう人材にもっと定職を、そしてロイヤリティの高い定職を、今後は与える企業が増えていけば、全く違う勢いの経済になるだろうなあ、と思うのです。

というのも、国際NGOや開発援助機関の職も、ほとんどが契約コンサルタントだったりするので、長期雇用ではない。しかし給与額はいい。なので、彼らはそういう職にがんばって就こうとするのですが、その後が続かない。

以前、ケニアナッツの佐藤さんの記事を読んでいた際に、「アフリカには長期雇用してあげる会社がない。うちの会社は長期雇用をすることで、安定的な生活を提供し、人生計画を立てることができる。これを他の会社もモデルとして見習って、ケニア中に広がっていけばいい」というお話をされていました。

よくアフリカに行くたびに、日本の戦後復興からの立ち上がり時期に行った、様々な政策や経済復興、そして中小企業の増殖などを思い、色々調べるのですが、やはり、人々の生活にいちばん大きな効用を残したのは長期雇用だったのかもしれません。

2年ほど前にフィリピンでとある日本企業を訪問した時も、非常にロイヤリティの高い社員を雇用することがモットーで、それが長期雇用の成功と、事業発展に繋がっているという話をご一緒させていただいたことがありました。

アフリカや南アジアで日本企業の皆さんと一緒に出かけると、「私は勤続20数年で・・・」という方がいらっしゃって、自己紹介をされるたびに、現地の人達がはっと息を呑むのです。

「20数年も同じ会社にいるなんて・・・」というのがまず設定条件として信じられない様子なのですが、それだけ安定的に仕事ができる状況というのを、想像することができない。

様々な貧困を目の当たりにしますが、これもひとつの貧困なのだな、と思うのです。

何も長期雇用万歳といっているわけではなく、長期雇用の存在を想像できないほど不安定な生活環境の中で生きていくことの、プレッシャーの大きさについては、私も想像できないかもしれません。

長期雇用という社会インフラほど、人々が成長していく際に人生の選択をする上で影響を与え、子どもたちの教育にも影響を与え、人々の性格を変えてしまうものは無いなあ、とつくづく思いました。

日本人が温和で冷静で長期的思考に見えるのも、長期雇用のおかげかな、と、帰りの飛行機の中の席取り合戦で、激しくナイジェリア人とバトルした後に、つくづく感じてしまいました・・・。

チュニジアに端を発して・・・エジプト革命を見て

今回のチュニジア、エジプト、レバノンと引き続いている、ネットやクラウドの力を利用した、言論の確立については、色々思うところが多いです。

昔、NGOにいた時に、ウェブを作る仕事をしていて、ネットのSNS的な要素を利用したアドボカシーキャンペーンの戦略作りをしていたのを思い出す。

1ヶ月で600人以上が参加したウェブ上のキャンペーンのプログラミングと戦略作りをしたことがあった。毎日、徹夜で更新と保守点検をして、ウェブを外部からのいろんな攻撃から守ったり、かなりの死闘だったけれど、あれもいい思い出。

あの時確信したのが、「隣にいる人が、自分と同じ気持ちでいるか分からないと、人々は立ち上がらない。でも、隣にいる人も、自分と同じだと分かった途端、人々はエンパワーされる。ネットがもたらすエンパワメントの凄さはそこだ」ということ。

人と人が横につながり、自分と同じ想いの人を見つけた時の喜び。これはエンパワメントなのだ、とつくづく思うときが幾度と無くあった。

ウェブは、人に「Sence of the community」を与えるということから、キャンペーン戦略上、非常に重要なツール。これを利用して、幾度もアドボカシーキャンペーンを開催し、いろんな人に貧困の事実・人権・正当な権利のあり方を知ってもらう活動をしていた。

そして、あれの大きいバージョンが今現在、エジプトやチュニジアという、私が現在足を置いているアフリカ大陸と同じところで、ものすごいパワーをもって沸き起こっているという事実を、じっくりと考えています。

今は、「ハッシュタグ#」があることによって、自分と同じ考えの人間やその人の意見が判る時代になった。(発信している人に限るけれど)

この意味は多大です。

本日、西アフリカ地域におりますが、CNNを見ていて発見した映像を貼り付けておきます。ぜひ転送でも何でもしてください!

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そして、この映像を見ていても思出だすのは、ケニアのスラムの中でももっとも聡明な詩人のピーターと話していた時のことです。

「僕らは十分に自分達の状況が悪いってこと、

 不公平だってことを長年、さんざんInformされてきたんだよ。

 でも、知っていても、どう行動していいか分からないんだ。

 だから、貧しいままで、状況は変わらないんだ。」

知っていても、行動できないフラストレーション。

その彼が、10月から養鶏のビジネスを始めて、高校に通いなおしている。「どう行動していいか」分かり始めた彼なりの解だ。

「行動するということは、どういうことなのか。」彼のおかげで何度も考えされられる。

エジプトの人々が血をこれ以上流さずに、自分達の権利を主張する社会を構築できることを祈っています。

1年を終えて、1年の始まりに立ち。

明けましておめでとうございます。

とても静かな年越しをしました。

というのも、12月後半は2週間のお休みを頂いて(※海外では2週間連続のお休みを取ることがコンプライアンス上必要になる会社もあり、私の会社もその慣例にのっとっています。その間、メールチェックなども一切無し、というはずではありますが・・・笑)ケニアで私が手伝っている起業家達とのミーティングのため、ナイロビのプロジェクトサイトへ足を伸ばしていました。

その折、夫も「一緒に行く!」ということで、二人で楽しくいったものの、どうやらナイロビのどこかで食べたもの(多分スラムの家庭の食事でしょうねえ・・・)がお腹に当たった様子。しかも、自分で正露丸か何かを飲んでいたようで、細菌性腸炎が長引く羽目になりました。

(下痢が始まると細菌性の場合は下痢止めは飲まずにとにかく苦しんで出してしまう方がいいのですが、彼はあまり途上国に行ったことがなかったので、下痢止めを自分で飲んでいたみたいです・・・)

二人でケニア旅行の後、一度イギリスに戻り、その後日本に帰ってきているのですが、私がついに彼のその状態に気づき、それは駄目だよ!と言って、私の愛用品である『ヤクルトBL整腸薬』を飲ませた途端、止めていたものが出始めて、一気に体調悪化。高熱と下痢が続きました。

それで年末31日には聖路加病院にて一日中検査をし、年越しそばもおせちも食べられずに、おかゆおかゆの毎日を夫は過ごしています。

私はもちろん食べていますけれど・・・笑

(聖路加の感染症のお医者さんはとても良いお医者さんです。また、聖路加には渡航内科のような所があり、途上国行く人はばしばし予防注射を打ってくれるのでかなりお勧めです。)

私は以前途上国から帰国した途端、食中毒を一度やり、その後、腸チフスなど口から入る菌に関係するものの予防接種は終えていたので、同じものを食べても大丈夫でした。一度食中毒をやると、だいぶタフになります。私はその時は抗生物質を呑むこともなく、自力で治したので、それも良かったのかもしれません。彼は今回きちんと予防していなかったので、仕方ない。。。。何度も言いましたけれど・・・。笑 仕方ないですね

と、年始早々下痢の話などですみません。これもひとつのご愛嬌・・・。というわけで、とても教訓的な年末年始を迎えることが出来ました。

夫が昏々と眠る横で、読書や雑誌を読みながら、音楽を聴いたり日本のテレビを見たりする、静かな静かな年明けでした。

2010年の1年は知らぬ間にたくさんのことが起こりました。1月7日にBOPイノベーションラボというオンラインコミュニティを立ち上げてから、あれよあれよと、大勢の人達が自分達で行動を起こすのを目の当たりにし、焦るというか凄いというか、理解を超えていたり、日本独自のコンテクストの中で進む物事に追いつけなかったりして、何がなんだか分からない瞬間を何度も経験しました・・・笑

でも、こういうのが起こるということこそ、本当に楽しいことだなあ、とつくづく思っています。

やはり化学反応がものすごい。

ポテンシャルの高い人達がうごめいている限り、必ずエントロピーは高くなるのですから、化学反応が起こっていく。

それらを実感を持って、体験させていただけました。

本当にこの1年で出会うことが出来た、沢山の方に感謝です。

この1年の間に、出会った方々が、次の1年の間に生み出すもの全てが、ものすごいパワーを持ったものになるだろう、と信じています。

仕事も沢山できました。こういう形でBOPビジネスと呼ばれるようなものが仕事にすることができるとは思っていませんでした。色々先回りして、数年前から先行投資して自分で駆けずり回って、良かったー、(というか、ようやく回収の目処が立ち、ほっとした感じ・・・)というところでしょうか。

悔い無き数年間の面白い経験を得ることが出来たと思います。

今年は、2010年に突風のように過ぎていってしまったがゆえに、きちんと対応できなかったことを、順々に着手し、頭を整理し、深堀し、次へ進んでいこうと思います。

特にすばらしい人達と出会うことが多かったのに、中々それを何かの形に出来ないまま終わってしまうことも多かった。

実行の段階に至るまでにはアイデアだけが浮遊しているものや、確信が持てないものが多かったのも事実。

それを着実に地に足の着いた事実にしていきたいと思います。

そして、2010年の最高に良かったこと・・・。

ケニアに4月に足を運んでから、スラムにいるピーターという青年と交流を続けていました。

彼に「ビジネスによるエンパワメント」の話をして4月は別れたのですが、じっくりと彼自身納得できるまで考えたのでしょう。

10月から鶏のビジネスをはじめたのだそうです。

夫と一緒に彼の収支を計算してみると、利益率は30%を超えています。彼とその話をしながら、今後の展望を話し合い、彼がきちんと高校に戻ることができる、学費を払いながらビジネスオーナーになれる、そういう計画を3人で立てることができました。

これが、一番うれしかったことです。

私はお金持ちでもないので、お金もあげられないのですが、人を元気づけたり、ヒントの種を風のように運んで歩くことは出来ると思う。

彼が日本やイギリスから来たこのヒントを、自分の中で熟成させ、誰に言われるでもなくはじめたこと。

これが一番うれしかったのです。

私は、「ああ、この1年の活動の方向性は間違っていなかったんだ」としみじみ思いました。安堵に近いのかもしれません。

さて、今年の抱負を書いてみます。こういうのは野暮ったくなるので書かないのが主義ですが、今年は非常にシンプルな課題を持っています。

「時間に価値を与える」

実は、昨年の移動した国の数は仕事だけでも7カ国。旅行なども入れて述べ回数では12カ国に移動しています。

イギリスの自宅に滞在していた日数は190日。

ほぼ年の半分をどこかの国で過ごしました。

私の生活を支えているのはSkypeや携帯による電話会議、車に乗りながら時差を超えて電話会議をすることもしょっちゅう。

また、朝4時・5時から、夜中12時から、などの電話会議もよくあります。

夫はこの私を「遠洋漁業」と呼ぶ・・・

(彼も出張が多く、近場のヨーロッパをうろうろするので、地引網とか近海漁業程度でしょうか)

「時間に価値を与える」というのは、こうした生活とどう向き合っていくかです。

自宅では有機栽培の実験(途上国農村部での農業の勉強のため)もはじめたものの、それらもこの遠洋漁業状態で枯れ果ててしまいました。

またイギリスに住んでいるにも関わらず、イギリスで起こっていることや時流を把握できず、私はいつもインドと中国とアフリカの話題しか知らない・・・。

最近、リクルートの就職関連の某サイトから取材を受け記事を書いていたのですが、そこで出来上がった原稿をあらためて見ると、イギリスにいる人の話なのに、インドの話ばかり出てくるので、夫が大笑いをしていました。

これでいいのか、と悩むことひとしきり。

しかし、私の生活を真横に見ながら、家族である夫も価値観がだいぶ変わってきました。昔は、どちらかというと、本当に一般的な20代から30代の日本人男性の考え方に近い人でしたが、いやおう無しに「ノマドな奥さん」との生活を突きつけられ、少し可哀想かな、と思いつつも、彼は彼でそれを、新しい価値観を構築していくための、ひとつのきっかけとして捉え始めてくれている様子。これぐらいうれしいことはありません。

彼の会社の人達もうちの家庭に対して「変わった奥さん」のイメージがある、というのを最近夫の口から聞き、笑ってしまいました。

大概の駐在員の奥さんは働き口を見つけることができない、かつ、皆さんは泣く泣く仕事をやめて主婦をされている方が多いので、私のように働くことが出来ているのは幸せだと痛感します。(半分も一緒に居ないくらい働いているのですが・・・)

日本でキャリアウーマンだった方も、イギリスでの再就職は難しいようで、それもあって皆さん家庭での仕事がパーフェクトな様子。家事に育児に、おもてなしに、と誘われて行く度に、うちとの雲泥の差に苦笑せざるを得ない・・・。うちの夫はその点、洗濯や自炊は自分でやるようになっているので、周りには「大変だね」といわれている様子です。私からすれば、私も同じくらい働いているのですから、もっと家事をしてと喧嘩をすることもしばしば。そこで、お互いの喧嘩を少なくするための投資として、iRobot社のルンバ(Roomba)を購入して以来、うちではこのルンバ君が大活躍しています。

日本で昨年2010年11月にBOPビジネスのセミナーをやった際に、「この分野には女性が多いし、女性が元気ですが、どうしてですか」と聞かれました。女性は元気なのですが、夫との生活を両立させる、となった途端、この分野の仕事は難しい。皆さん、独身の方が多いと思います。

それはひとえに、夫の理解、夫の変化、年齢、周囲の目、家の中やそれぞれのカップル毎の文化やルール、社会契約・・・・、こうしたことに絡み取られていく問題だからです。独身であれば、長期間どこにいようが何とも言われないし、後ろ髪を引かれる思いもしませんが、もし自分自身が家庭を持っていて、家庭を大切にしたいという気持ちが強い場合、気持ちは複雑です。

これからグローバルに働き、あちこちを動き回る人が増えていくであろうことを考えると、新しい仕事のあり方、新しい夫婦のあり方を考え、そこから新しい会社のあり方も考えていかなくてはならない、と強く思います。

旅のような毎日が続く生活は、毎日が新しく驚きに満ちていて、アドレナリンが出るものですから、そこまで苦ではないものの、色々なひずみが出てきているのも事実。身体的にも、精神的にも、今まで見たことのない状態に何度もなり、自分の状態を常にチェックするようになりました。

チャンスを楽しむべく、時間を効率的に使い、健康を維持するための時間をきちんと太陽の出ている時間帯に取れるようにする。人間らしく、音楽や園芸や文学を楽しむ時間を盛り込み、時間ひとつひとつが持つ価値や豊かさを増やしていく。

こういう配慮が必要になってきた歳、と感じています。

「時間を節約する」という表現は殺伐して苦手なので、もっと正しい言葉があろうと思い、「時間に価値を与える」として考えて行こうと思います。これから一つ一つ、また問題にぶつかりながら、試行錯誤して、答えを出して行きたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

やっぱり、どうしても、言いたい・・・ 技術偏重は心配だ・・・

昨日、自分の会社でBOPのセミナーを開催した。約2年ぶり。会場にいらしてくださった方々、本当に有難うございました。

昔に比べると自分たちの知識も経験もようやく少しマシになったな、という感じだけれど、特に経験値が増したのはよかった。

弊社のディレクターが「前職含め7-8年の研究活動」と言ってくれたこともうれしかったが、そんなに長くなるのか、そういえば・・・と思った。(なんだか、一つのことしかしていないなあ・・・)

時間が短くて、言葉としては漏れていたことも沢山あった。なので、会場にいらした方などどんどんフィードバックをいただければ、追加情報や個別・具体的な情報は後ほど沢山お話ができると思います。

昨日のセミナーでも述べたのだが、実はここ半年、かなり気になっている動きがある・・・

まだ黙っていようと思ったのだが、やっぱり昨日のセミナーでスライドにして言ってしまった・・・

(会社のメンバーは、「思ってるなら言っちゃえ言っちゃえ」といってた笑)

まず、BOPに関する誤解、それから、技術偏重に対する懸念。この二つは今の動きの中で要注意してみている。

特に技術イノベーションの件。技術イノベーションへの過度な期待は、本当に机上の空論で終わる怖さがある。だから、気をつけたい。

さらに私が警戒している理由は、アメリカから出てくるBOPの議論の影響をもろに受けている感があり、現場ではそこまで聞かれないストーリーだからだ。つまり、世界的にみると地域限定的なディスカッションなのだが、日本に来ると大盛り上がりになってしまう。もっと全体で議論しないといけない。

私は技術も確かに面白いが、組織やヒトが変わることのポテンシャルの方が高いと思っていて、そちらが面白いと思っている。

そんなことも踏まえて、昨日のセミナーでは淡々と思っていることをお話した。

さて、数週間前にドラフトボックスに放り込んでおいた、ブログ記事を、この際、アップしようと思う。

懸念を感じ始めて・・・

半年くらい前からずっと気になっていたのが、BOPビジネスを語る潮流の中でテクノロジー重視の傾向がどんどん強まっている。

私もテクノロジーを信じていないわけではないし、「世界を変えるデザイン」も高野さん(英治出版)と、日本の人たちはものづくりが好きだから、多分アピーリングだろう、ということで最初の導入編として編集した。それに、槌屋さんが最初に技術の話を持ち込んだんでしょう、と言われることも少なくない。

技術の話からBOPを語るのは、ドラえもんを語るように未来があって、希望があって、わくわくするものだ。魅了することこの上なく、尽きない妄想が広がる。今まで不可能だと思ってあきらめてきたことに、一筋の希望の光を与えるのが、技術とBOPの話が交差する地点だった。

特にイノベーションとしてBOPの課題を捉える活動を新たにつかみ直すこと、これに光があると思っていた。

つまり今までは「貧困解決」とか「新自由主義反対」といった言葉で語られてきた草の根の活動の多くが、一部の人たちだけの心の吐露や拠り所になるのではなく、多くの人々が共感し、自分たちに「できること」を考え始めるきっかけを与える・・・。遠いアフリカの大地の話ではなく、近く自分の身の回りにおこることと水平に並べて考えることができるようになる・・・。

そういう光があると思っていた。なぜなら、その光こそが多くの社会運動の中で何度も繰り返し繰り返し、失敗してきたことだったからだ。ファンドレイジングやキャンペーンをやる度に、何度「日本人が、あなたができること」を意識しただろう。市民に貧困という言葉の意味を分かってもらうために、何度「遠いアフリカの話ではなくて、これは社会構造の話であり、あなたと繋がっている」と話しただろう。

でも、言葉で話しても、実現されたプロジェクトや物を見せられた時の方が衝撃が大きい。

だから、プロダクトから入ろう、そう決めたのだった。(そりゃ、失敗だったかな、と思うこともありますよ・・・笑)

技術讃歌ではない、人を中心に考えること、とは何か?

だが、「世界を変えるデザイン」の本質は、テクノロジー賛歌ではなかった。むしろ、テクノロジーを支える人たちの人間くささと、現地の人たちと積み重ねるトレーニングと対話、自分達の教育を見直し、現地で行われる教育を見直し、知識について考え直し、思考を繰り返す地道な努力、それを描いていた。

テクノロジーは決して途上国や被災地の人々の問題を一気に解決するようなミラクルソリューションを提供するのではない。テクノロジーを導入することで貧困は減らない。テクノロジーを使う人々の知恵と心と道徳と。人が使うことによって、人がそのテクノロジーを生み出す過程で活き活きとすることによって、初めて貧困は減るのだと思う。つまり、プロセスが貧困削減に役立つのであり、プロダクトは最終的なソリューションではない。

彼らが植物を育てたり、自分達の家を直したり、水を運べるようになったりする過程で、色々悩み、色々試行錯誤する。そのプロセスを一緒に忍耐強く行っていくことが、今まで無かった取り組みだと思っていた。それがイノベーションを生み出すプロセスである。

新しいテクノロジーを新しい地域に導入すること自体は「イノベーティブ」ではない。

本当のイノベーションは技術でなく、そのプロセスにある

今の技術にもとづいた言説を見れば分かるように、多くのBOP向けに利用されている技術が「古い技術」「枯れた技術」「眠っている技術」と表現されており(実際のところ古くもなく、眠ってもいなくて、枯れてもいない・・・この表現は全て富裕層マーケット(TOP)におけるポジションしか表していない)、そして、その多くが新しい組み合わせを作り出すことで再利用され、再加工され、新しい価値を生み出しているだけだ。

マイクロファイナンス×モバイルペイメントも、新しいかけ算の方程式をみつけただけだ。

組み合わせは新しいかもしれないが、技術自体にイノベーションは起きていない。

組み合わせを刷新するために求められたものは、二つのかけ算項目の間を調整する力であり、一つではなく複数で作り上げる過程である。つまり、新しい組み合わせを作り出すために必要なプロセス、がイノベーティブであり、人を活性化させるのだ。

ここではっきり言おう。テクノロジーでは貧困は解決しない。

貧困は人が作り出したもの。人の手で解決させるのである。

人の手が加わり変わって行くのはプロセスである。

プロセスに注力すべきだ。人が育ち、人がつながり、人が言葉を発する。そのプロセスだ。

危機感を抱かせる国際的な動き

なぜこんなにも危機感を覚えながら警鐘を鳴り響かせているかというと、ここ数ヶ月で様々な動きが一気に動き出し、その裏側の様子が見えてきたからだ。陰謀とかそういった意味ではないのだが、全ての動きが一つの円で結びつきを持って、私の目の前にたち現れてきた。ミッシングリンクが繋がってきた。

アメリカと欧州で今にわかに話題になっているのが、開発援助機関(アメリカのUSAIDとイギリスのDFID)の両方で技術指向のファンドが設立されたことだ。この動きは1年以上前からずっと始まっていて、各開発援助機関の中でむくむくと動きだしていたのだが、アメリカにおいて、ここまで技術とビジネスの見事な融合が支持される形になろうとは想像していなかった。

追い討ちをかけるように入ってきた噂話。バンキモン氏がビルゲイツ等の「成功者であり、最高額の寄付をしているフィランソロピスト」たちを「貧困削減のSuper Heroes」という名において、UNのアドバイザーにしたこと。これがUSAIDや他の援助機関にも影響しているという噂も耳に挟むことが多くなった。これによって、「ビジネス界で成功した人たち」の主導によって、技術オリエンテッドな援助プロジェクトにはグラント(無償援助金)がつきやすくなる、という動きが起こっている、らしい。噂レベルの話だが・・・。(※もともとよく日本のODAは技術ばっかりで、日本企業の技術が優位にたつものだから、と現地や外国の援助機関からは批判されていたものだが・・・)

本当かどうか知らないし、これは、ここ数ヶ月表面化してきたことなので、単なる短期的なトレンドかもしれない。

だけど、そういう噂話が出ること自体、何かの表れだな、と少し危惧している。

美しい言葉の背景には思惑がある

さて、うって変わって、今度は会社が開発課題に対して打ち出すCSRやBOPに関連したスローガンの裏側について考える話。ここにも閉塞的な雰囲気が流れ始めている。数年前の自由闊達な空気が自粛気味だ。

「企業が開発援助においてできること」を問うセミナーやディスカッションはアメリカでもイギリスでも多数行われているが、その多くは、「プロダクト」と「雇用」が最高の貢献だということで終始してしまっている。「企業ができる最大の社会貢献は、プロダクトと雇用!」というスローガンやCSR担当部長の言葉に大絶賛の賛辞がのべられ、リーダーシップがあるとかなんとか言って、大喝采がおこる。

ほんとにこれがリーダーシップなのか??

ここまでシンプル化されて安易なディスカッションに終始するのは、企業はそれ以上のリスクをとりたくないことの現れかもしれない。もしくは、それを言外に言ってのけ、そしてそれ以上やってくるアプローチから自分たちを守るためかもしれない。私は、何度も美しい言葉とリスクヘッジをしているこうした企業の担当者のところへ行って話をきいたことがあるが、新しいアイデアを受け入れる要素は非常に少なかった。「そういう考え方もあるよね。でもうちは違うから。」「でも、あの言葉の意味はそういう意味にもとれますよ?」「あれは、僕たち自身の定義でね・・・」と抽象的な言葉がならぶ説明がはじまる。

最近のアメリカと欧州の多国籍企業のスタンスを見ていると、なぜもっと突っ込んで正直に話さないのか見ていてもどかしいくらいだ。そして、皆その美しい言葉で満足してしまっているのだ。

日本の会社の中には、自分の会社が「陰徳」を積んでいるかどうかを自虐的なまでに何度も問い直す会社もあるのに対して、(もちろんそうではない会社も多々あるが)欧米企業の多くが、安易に自分達の貢献を美しい表現に言い換えてみて自己完結している姿は、時々見ていてイライラすることさえある。

それがこの1年間、欧米に拠点をおきながら多国籍企業を見てきた、正直な感想だ。多くのCSR関係者やSRIアナリスト達が同じ思いを持っているかもしれない。

BOP関連の海外のコンサルタントとともよく話が合うので連携するのだが、彼らも「最近は、みんなネスレ、ダノン、マイクロソフト、DSMとか決まりきっているでしょう?他にチャレンジしようとする気がないんだよ。つまらないよね。仕事をしていても、大体、あ、あの会社のあのプロジェクトね、ってしってることばかり。」

つまり、もうブランドの一つとしてBOPなんて捉えられているから、既に確立されたブランド領域に改めて参入してくる会社の方が少なくなってきたということか。

結局、この論の行き着くところは、途上国と企業の新しい関係性を模索するような、度量のある試みが行われずに終わってしまい、小さくまとまってしまう。

上に延べたような大手企業で先進的な企業以外の、他の企業たちの落ち着きどころは、PPP(Private Public Partnership)という名の下に、現地政府とMOUを結び、企業が最大に貢献できる「プロダクト」と「雇用」を提供する。つまり、企業が生産工場を置き、商品を売る、ということである。(これならリスクをとらずにできるし、上層部にも最新トレンドのBOP事業にも足をのばしてやってます、といいつつも、他事業部から白い目でみられずに済むからだ。それなら無理してやらなくていいのに・・・。本当に、何度も言うが、「全ての企業がBOPビジネスをする必要なんて全然ないのだ!)

そして、それを無償で支援するグラントファンドができつつある。最高のプロダクトをNGOや現地政府に売りつけることもある。この無償グラントのおかげで補助金ビジネスになってしまった商品が、途上国市場を跋扈し、そのおかげで市場が破壊される可能性も十分高い。

(これはOLPCのネグロポンテ氏がIntelのやり方を批判した時にも同じことを言っていた。結局OLPCのプロジェクトは現地で補助金ビジネス化したIntelの格安無償配布PCに勝てなかった。自由競争は行われなかった。そして、この間もCSR Europeにて出会ったIntelの担当者と話した時も、やはり彼らは自分達のプログラムは、「現地政府が呼んでくれた土地にしかいかない」とはっきり言い切った。つまり補助金やそれに近いコスト削減のお膳立てが無い限り、絶対に自分達の商品をディストリビューションしようとは思っていないのだ。)

Beyond the line ーその先を超えて行くリーダーシップはどこに?

実はUSAIDやDFIDの考えていたファンドはもっともっとイノベーティブで面白いはずだった。(当初、取材する機会も色々あり、話を聞きに行った時はエキサイティングなムードに包まれていた)だが、当初のアイデアや検討のプロセスの中で投げ込まれた沢山のアイデアは、お互いにその良さを相殺しあい、つまらない淡白なものが出来上がってしまったように思う。結局現在では国連のスーパーアドバイザーになったビルゲイツが親指をたてて Good job! Well Done! とほめてくれるようなファンド構想に落ち着いてしまったような気もする。

これは世界各国で起こっていることで、USAIDやDFIDだけに限ったことではない。それに、開発援助側にずっといた方は特に「いまさら何を言っているの、今までの法則と何も変わらないじゃない。(今までだって企業誘致のために開発援助は何度だって利用されてきたでしょう、考え方が甘すぎるよ)」というだろう。それに、ビジネス側にいる人たちは、「それのどこが悪いの、プロダクトと雇用がなければ経済発展はしないでしょう(大体、我々があの国の発展をひっぱってきたんだし・・・)」というだろう。

私も、この意見には、これ以上賛同できないくらい賛同している。こうしたスタート資金がなければ、プロジェクトの多くははじまらないし、こういったファンドやテクノロジー導入を支援する基金が存在しなければ、NGOや現地の市民社会はいつまでたっても、本当にビジネスに繋がる機会を手にすることができない。

いくらコミュニティが成長して、キャパシティビルディングをきちんと形成できたとしても、それがマーケットに繋がる道筋を持たなければ、停滞期/プラトーにはいる。それは事実であり、だからこそ、私も仕事ではマーケットとコミュニティを繋ぐ仕事をしている。

それでも、「でも、でも」とクチにだして言う私の懸念は、このあまりにシンプル化された議論にはミッシングポイントが多いということだ。

確かに、「プロダクト」と「雇用」の生み出すインパクトは大きい。なくてはならない。

だが、「企業が開発援助においてできること」は決して「プロダクト」と「雇用」だけではない。企業はもっともっと出来るはずだ。自分たちでひいてしまった、限界線を超えて。人を育てることやコミュニティと対話すること、ビジネスのプロセスを変えながら適合していくことや、ローカルの知恵を再認識して技術に取り入れていくこともできる。自分たちの今まで作り上げたものを見直し、否定し、受け入れ、反省し、更に前に進んで変わって行くための勇気を持つことだってできる。社内の人材を活性化することもできるし、現地政府に1企業としてロビーイングを行い透明性を求めることもできる。ソーシャルミッションを持った人たちが広がるようなカタリストになることもできる。

そこに境界線はないのだ。誰も、定義なんてしていない。

企業はもっとできるのだ。今見えている自分達が勝手にひいたラインを超えて、さらに先に行けるはずなのだ。

(この3週間で何度色んな人に言って、叫んで歩いただろう。“Business can do more! They will notice that we can do more beyond this line!”)

それが本当に、BOPビジネスが企業にとって意味するものであり、BOPビジネスがもたらしてくれる「イノベーション」の意味するところだと、私は勝手に思っているのだが。

これは私の勝手な希望でしかないのだろうか?

この論考を書くにあたって、正直なところ勇気がいった。なぜなら、多くの心ある人たちを批判してしまうことになるかもしれないと思ったからだ。でも、これは批判ではなくて、私自身の反省でもあるし、そして、やはり、と見直す機会なのだと思っている。

この文章を書く前に相談したら、書き方を工夫すれば、皆わかってくれるんじゃないかしら、とアドバイスをくれた友人に、本当に感謝している。そして、考え続けて、結局数週間お蔵入りだったのだけど・・・。笑

にしても、まだ頭が整理されていないのか、文章が変ですかね。ライブ感を楽しんでいただけるとありがたいです。(いい意味で・・・笑)

さまざまなフィードバックをお待ちしています。

お金の流れは急に変わる、やはり大から小への川の流れ

先日、ロンドンでBOP事業のための中間支援を行っているスタッフの人に色々話を聞いていたところ、彼女がため息をついた。

「DFID(英国開発庁)もやっぱりお上が変わると変わるから…。キャメロン首相になってから、実はアフリカへ回るお金が、現在中東に回るようになってしまって。」

なるほど…

やっぱりね…

なんかそんな予感してました…

この間までは、ゴードン首相はアフリカを注力的に開発することを念頭においていたので、ODI(開発庁お墨付きの(?)シンクタンク)でも、DFIDでも昨年からずっとアフリカオンリーの色だった。

特に、そのプログラムがいいな、と思っていたのは、アフリカの起業家支援・育成を組んだものが多くて、全て「生業(ライブリーフッド)」を生み出すためのものが多かったことだ。

この全般的なムーブメントは、イギリス全体に流れていたし、オックスファムにもワールドビジョンにも「マイクロ起業家支援ファンド」も立ち上がったり、起業家支援ブームだった。

それが特にアフリカは起業家の効果も高いし成長も早いというので、色んなプログラムにお金が投入されていたし、ロンドン市内でも沢山の「アフリカ投資」系のセミナーが開催されていて、援助も非援助も関係なく、アフリカへのお金の流れを肌で感じる1年だった。

沢山の個人投資家たちが、アフリカへの興味を前面に押し出して、歩き回っていたし、それ以上に、アフリカから来てイギリスで成功している実業家たちがかなり意欲的にイギリスのこの潮流に乗って、自国の再建、自国への誇りの回復を図ろうとしていて、涙を誘う感動のシーンもあった。

以前であれば、「イギリスに来て勉強して帰って自国のために働きます」という優秀な学生が多いところ、この1年感じていたのは「自国には戻れなかった。この国で苦労した。そして、自分は今銀行で働きスキルが身についた。あの国の現状をあなた方は知らない。私はこの国から出来ることをし、自国に帰れるようになりたい。」というシニアな方々が増えたということ。

その言葉の裏には、重みと苦しみと愛憎を感じるものだった。

こうした人たちは以前は、「自分はビジネスで成功し、仕送りすればいい」と割り切って、その愛憎を心の裏に隠して、平穏にロンドンで生活していたのであるが、それが最近のビジネスと開発の合流する地点でむくむくと熱いものが沸き滾りつつあった。

彼らが動きだすとすごいことになるだろう。そんな強い信頼を与えてくれる動きだった。

草の根の「自国助けて」運動とはまったく違う、彼らの野心的な目と彼らの「自分があの国でビジネスをして、公益になることをするんだ」という信じ込みは、誰よりも、何よりも強い。

この彼らの動きが最近急速に沈静化してきているように感じるのは、一つに、①景気が戻ってきて本業のビジネスが加速しているから、②イギリスの開発全体のムーブメントが一気に中東よりに変わり、現在、アフリカ関連の動きが鈍くなっているから、という理由のような気がしている。

ビジネス上はやはり資金の流れは引き続き続いていて、(だが、南アフリカのワールドカップがあったせいで、非常に偏っているような感じを受ける)投資の呼び込みも大きいが、前ほどではない気がする。やはりワールドカップが終わってしまったからか。

それと国のサポートというリスクヘッジが消えると、事業投資も難しくなるのだろう。

とはいえ、中東に向かった資金の使い道や、そこにまた起業家支援のようなプログラムが増えるのか、というと、そういうものがはっきりするまでまだ時間がかかる。

特に中東はお金の流れの渦がぜんぜん違う。ドバイ、アブダビという金融中心地もあるし、投資の入ってくるルートがぜんぜん異なるので、ビジネスと開発が一致する流れを交通整理するのにもう少し時間がかかりそうな印象だ。(だが、徐々に始まっている)

お金の流れはやはり「お上」によって変わってしまう。

これがもっと自発的に自律できる流れになるためには、どうしたらいいのだろうか。

でも、ケニアプロジェクト(BOPラボを通じて行っているケニアでの起業家支援プロジェクト)の話をすると、やはりこちらでも興味を持つ人が多い。特にシニア層マネージャー達やケニア出身の実業家たち。彼らは熱心に聴きながら、ふむふむ、と言って、自分が何が出来るかを知りたい、と言う。

投資先を探している皆さん、是非、アフリカの起業家と共に歩む長い道のりも、考慮に入れてみてはいかが?

流行にとらわれずに、強い目線と強い動機で、自国のために動き出す彼らと共に歩むことは、それだけで自分の人生を何度もふるいにかけられて、自分が自国のために何をしたか、自分が人類のために何をしたか、何度も問いかけられる瞬間のある作業です。

それをソーシャルリターンと呼ぶならば…

そんな簡単な一言や二言の言葉では呼べないリターンが大量に返ってくる投資でしょう。

こうやって小から大のお金の流れが生まれていくように地道にやっていくしかないのです。

心震える出会いというもの

センチメンタルなことを言うつもりは毛頭なくても、気が付いたらセンチメンタルなことも平気で言えるようになるのが途上国の魔力かもしれません。(笑 タイトルは少しおセンチになってしまいました)

ケニアで出会うべき人がいるとFさんから聞いていて、Rに会いました。Fさんはバングラデシュに共に行った仲間ですが、Rを繋げてくれた世界コネクターです。

Rはスラム街出身の女性。彼女は現在NGOで働きつつ、スラム街での人権活動やビジネス育成に携わります。

「どうしてこの仕事に就いたの?」

私がいつも聞く言葉です。What brought you here??

彼女は一息おいて、笑いながら答えました。これから長いお話が始まるわよ、という雰囲気をたたえながら・・・

You know, it was really really, really hard times….

彼女は笑みを浮かべつつ、自分が13歳で母を亡くし、2歳の妹を育てながら、無責任な父の下、15歳から働いて、スラム街で逞しく生きてきた様子を話してくれました。彼女は決して学校に行くのをあきらめず、何度も学校に行けなくなる瞬間があったけれども、絶対にあきらめなかった。

彼女が今笑みをたたえられるのは、今幸せだからです。自分の仕事を理解してくれる素敵なパートナーがいて、子どもがいて、生活がある。

シンプルな単語ですが、彼女の笑みの中に全てがありました。

彼女を見ていると、自分がしようとしていることが正しいか正しくないか、というよりも、自分の向かおうとしている方向性を既に歩く人を前に見ているような気がして、頼もしいのです。

そして、一方で、自分がなぜこの仕事をしているのかを彼女に話しながら思いました。彼女と自分たちは何も変わらない。

変わるのは服装や生活レベルや出す金額のレベルかもしれませんが、私はやはり女性がエンパワメントされる現場を見たい、それだけなのだと思います。そして、それは私の母の世代を思うからなのです。そして、それは小さい頃から私の母を見、私の友人たちの母を見、そして日本の女性の生き方をずっと見てきたから思うことなのだと思います。

マイクロファイナンスの会場でも、「日本での女性の状況はどうだ」と言われて、50代以前の女性の社会進出の話と共に、それ以上に高齢の世代における熟年離婚の話をしました。(笑)

「なんてシリアスな状況なんだ!」とケニアの人々は憤慨していましたが、日本ではなぜかトレンディドラマにされて、適当にごまかされた感がありますが、本当に深刻な社会問題だと私は感じていますし、この問題は全く解決していません。非常に根深い、根源的な日本社会の問題を表す言葉だと思っています。

50代になって子どもが手から離れた途端、「夫から自立する」と言う女性。

それはどういう意味なのか。結婚とは何なのか。自立する、ということは何か。今までどれだけ支配されていたのか。

一つ、面白い言葉があります。

エンパワメントのプログラムに参加しはじめようとする女性たちに最初に言う言葉です。

「あなた自身のことを考えなさい」

この言葉を繰り返し、何度も何度も、彼女たちに語るのです。

子どもがまだ学校だから、夫のごはんをつくらなくちゃいけないから、家事があるから、子どもの服を買わなくちゃいけないから・・・・。

こういう「いいわけ」を他人から引用する人生はやめましょう。

自分自身の人生のことを考えなさい。自分が何をしたいか、自分はどう生きたいかを考えなさい。自分の尊厳を大切にしなさい。自分自身が何を学びたいのか、どういう収入を得たいのか考えなさい。

こうして少しずつ女性たちは変わっていきます。内側と外側から。

そして、男性も変わっていきます。男性は自分たちの意思決定に女性を含めるようになり、家計の相談をするようになります。

この「意志決定に参加する」ということこそ、女性にとっての自信回復のなにものでもないのです。

これこそ、日本の女性にこそ必要なプログラムなのだと、私は思っています。

3月に日本に帰った時、非常に残念な思いをしました。年配の男性が沢山いらっしゃる席で食事をしたのですが、こういう言葉が交わされました。

「最近は女性の社会進出も進んだよね。10年前だったらあなたのような若い女性は、この席にはいないで、あっちの隅に座っていたんだから」

私はそれを聞いて、何とも言えない思いでした。

久々にこういうことを聞いた気がしたのですが、それは日本を離れているからでしょう。日本にいた時は日常茶飯事で聞いた言葉だったことを思い出しました。そして、この言葉に近いものを毎日見聞きしていた頃の、何とも言えないストレスを思いだしました。このストレスがどれだけ重荷だったかを思いだしました。

そして何よりも、こういった言葉が生まれてくる源泉はなんだろう、と思いました。

(イギリスに帰ってこの話をしたら、やはり「なんて無礼な人たちなの!」と憤慨されましたが 笑)

この言葉を聞いて、私はまだ「日本の女性」としては自信を持てないことに気づきました。

ケニアで元気に働く女性たちは頼もしく、強く、立派です。夜も朝も一生懸命働きます。そして、家族を支え、強く、かっこいいのです。一見すると、働いている女性の数は多く、日本よりも多いかもしれません。

私たちは彼女たちに沢山教えてもらわないといけないな、とRの笑みを見ながら思い、わくわくするのでした。